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お盆まっただ中の8月の朝。スターバックス南町田グランベリーパーク店の広い店内は、家族連れやカップル、仕事に打ち込むビジネスパーソンなどで賑わいます。午前9時50分、『Dカフェ』と書かれた看板が店内の一角に置かれると、ドリンクを手にひとりふたりと人々が集まり、談笑が始まりました。
DカフェのDは認知症(Dementia)の頭文字。Dカフェは、認知症の当事者やその家族、支援者、地域の人々などが、認知症について気軽に情報交換をし、交流する場所です。予約不要、出入り自由で、開催は午前10時から正午の2時間。
スターバックスと町田市、認知症フレンドシップクラブ町田事務局(現:一般社団法人Dフレンズ町田)そして地域の人々が協力し、2016年にスタートしたDカフェ。仕掛け人のひとりで、当時、町田金森店のストアマネージャー(店長)を務めていた林さんに話を聞きました。
当事者たちの声にとことん耳を傾けて
スターバックスでは、地域とのつながりを築くため、それぞれの店舗が自主的に『コミュニティ コネクション』と呼ばれる取り組みを行なっています。当時、林さん率いる町田金森店でも、コミュニティ コネクションの活動を積極的に行なっていました。
「近隣の高齢者施設の皆様と、町の清掃活動をしたり、施設の夏祭りに我々がコーヒーを提供したりと、様々な交流を持たせてもらっていました。そんな折、その施設の方から、町田市が認知症カフェというものを開こうとしているらしい、とのお話を耳にしたんです」(林さん)
認知症の人がよりよく生きていくために、2020年度までに全市町村で認知症カフェの設置を目指す——。そんな認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)が国の政策として制定された2015年、町田市も認知症カフェの設置に向けて動き出していました。
当時、民間企業から町田市役所に転職し、認知症カフェの担当として現在の高齢者支援課に配属された米山雅人さんはこう振り返ります。
「国の補助金が出るからと行政が箱を用意するだけでは、当事者の方々が置いてけぼりにされてしまうかもしれない。当事者の方々主体で企画を進めるのがよいのでは、と考えました」(米山さん)
まずは当事者たちの声にとことん耳を傾けてみようと、米山さんは本人会議と呼ばれる集まりに約1年間、2週に1度ほどのペースで通いました。
対話を重ねるうち、「もっと地域の役に立ちたい」「自分たちのことを広く知ってほしい」という当事者たちのニーズに気づきます。「一般の人々に声を届けるためには、地域のカフェで開催するのがいいのでは」という意見も出てきました。ほどなくして、ある社会福祉法人の関係者に『地域活動に熱心な店長を知っているよ』と紹介されたのが、当時、町田金森店でストアマネージャーだった林さんでした。
人々の心を豊かで、活力のあるものに。ミッションを体現するのに戸惑いはなかった
米山さん曰く、林さんは「実行力とスピード力の人」。
「初めてお会いした時、『ぜひやりましょう。スケジュールはどうしましょうか』と、二つ返事で答えてくれました。そこからはトントン拍子にことが運びましたね」(米山さん)
林さんは、「スターバックスは『人々の心を豊かで、活力のあるものにするために——ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから』をミッションに掲げています。コーヒーはいわばミッションを体現するための『ツール』であり、店舗はミッションを体現する『場所』。その場所で、地域の困りごとを解決できたり、多くの人が集まって豊かになれる時間を作れたりするのであれば、やらない手はない。戸惑いや迷いは微塵もありませんでした」と振り返ります。
そうして、2016年7月、約3ヶ月の準備期間を経て、記念すべき第1回目のDカフェが、町田金森店で開催されました。当初は演奏会や当事者が描いた絵画の展示など、様々な企画を盛り込み、『イベント感満載』での開催だったといいます。
「終了後、参加者の皆様からいただいた『楽しかった!』の声が印象的でした。皆さん、普段外でつけている『外向けの顔』という仮面を外して、素の自分で心から楽しんでくださった、という手応えがありました」(林さん)
好評を得て、市内の他店舗にもDカフェを展開することに。無理なく継続できる形式を三者で模索した結果、翌2017年からは、スターバックスは場所を用意し、町田市は広報活動をして、Dフレンズ町田が当日のファシリテーターをする、というシンプルなスタイルに落ち着きました。
こうして、2019年には市内のスターバックス全9店舗まで広がったDカフェは、コロナ禍で中止しておりましたが、2023年6月より、南町田グランベリーパーク店を含む市内3店舗で再開しています。
いずれ歩く道を、先輩たちから教えていただく
Dカフェには、認知症の家族を持つという10〜20代や医学を勉強する学生など、若い世代が参加することもあります。本人会議を運営するDフレンズ町田の代表で、Dカフェでファシリテーターを務める松本礼子さんは、こう話します。
「Dカフェは、私たちもいずれ歩くであろう道を、先に歩いている先輩たちから教えていただく場所。『認知症の人でも、みんなと同じようにこんなに楽しそうにおしゃべりして笑ってるんだ。なんだ、認知症ってそんなに怖いものではないのでは?』と、コーヒーを買いに来た様々な年代の方に自然に感じてもらえるきっかけになっている。スターバックスという開かれた場所で開催する意味は大きいですよね」
この日は、杉並区から来たという小学6年生の河本愛生(あおい)さんが、お母さんと、大阪から遊びにきている70代後半のおばあさんと一緒に、三世代で参加しました。
離れて暮らすおばあさんが認知症と診断され、小学校の課題研究のテーマを認知症に決めたという愛生さん。インターネットで町田市のDカフェを見つけ、「スターバックスで交流会があるから行こう」と誘うとおばあさんも喜んでついてきてくれたのだとか。
「東京に呼び寄せて一緒に暮らすべきか、このまま遠隔で見守るべきか、決めかねているんです」とDカフェ参加者の前で打ち明けるお母さんに、「全然違う環境に移動すると認知症が進んじゃうから、大阪でご主人と一緒に色々利用されるといいんじゃないかしら」「まだまだお元気だから、カラオケでもスポーツジムでも好きな事に打ち込める環境を用意されたら?」などなど、「先輩」たちから続々とアドバイスが寄せられます。
当のおばあさんも、「実は私自身はそんなに困っていないんですよ。楽しく毎日暮らせたらな、と思っているだけなんです」と本音を漏らします。
2時間のコーヒータイムはあっという間に過ぎ、「皆様からお話を聞いて、まだまだ色々な選択肢があるんだなと気づきました。今日行けなかったらじゃあ明日行こうか、と気軽に行けるくらい、こんな場所が増えてほしいですね」と、お母さんは肩の荷が少し降りた様子。愛生さんも「おばあちゃんは時々、私との思い出も忘れちゃったりして、悲しいなと思うこともあったけど、今日はニコニコ楽しそうで、来てよかった」と笑顔を見せました。
帰り際、認知症だった奥さんを数年前に亡くされたという80代の常連さんが、愛生さんに声をかけました。
「これからはあなたの時代だからね。おばあちゃんが安心して暮らしていくためにどうしたらいいか、あなたが考えていくんだよ」
上の世代から託された大事なバトン。愛生さんは「はい」と力強い返事で受け取りました。
誰もが『良きおせっかい』であっていい
「認知症は、怖いことでも嫌なことでもなく、僕もいずれなるかもしれないもの。病気になったからハイ終わり、ではなくて、それでもできることは何なのか、社会とどのように関わっていくか、一緒に探っていくのがDカフェ。こういう場づくりを、高齢者の多い町田市でやっていくのはすごく意義があるし、市の財産として存続していってくれたら」と熱く語る林さん。
実は、林さんも米山さんも、現在はそれぞれ別の店舗、別の課で勤務しています。Dカフェの現場を離れたからこそ、米山さんも想いを馳せます。
「Dカフェに参加して発信していくことで、認知症の方たちが自信を取り戻すプロセスを間近で見られて、本当にやってよかったなと思っています。始めた僕らはいなくなったけれど、当時のスタイルのままDカフェが引き継がれていることが何より嬉しい」(米山さん)
閉ざされた空間の中ではなく、普段よく行くカフェで何気なく開催されていることの意義。それは、「認知症」を広く伝えるだけでなく、もっと広い意味で「人が分け隔てなくつながっていく」ことを願う気持ちが根底にはあります。
「社会ってもっとつながっていていいし、寛容であっていい。隣の困っている人に『何かできることはありますか』って声をかけてあげるような『良きおせっかい』が、本当は誰の心の中にもいるのだと思います。それなら声をかけてみようよ、と。私たちスターバックスが、そういったポジティブな渦で社会を巻き込むリーダー的な存在でありたいなと思いますね」(林さん)